2014/05/05 GWその4

・逃げている姉
逃げている無え

そんなに恐れてどこへいく
とぶことできぬトンボよ

ぎーこらばったん
ぎーこらばったん



・きょうはGW中の活入れ日、と思って企画準備とかもろもろの連絡とかを済ませようと思ってたけどぜんぜんできなかった。
気づいたら一生懸命作曲してたが、かんぜんに、いつも、こんなふうにやんわりと、現実逃避するような所作が。
「企画の現状は?」と聞かれるのが怖いので、「怖がってる現状の自分の心象を歌ったソング」をつくりました。
でもそれも無意識にやっていた。
昼間から活動できずに夕方からイオンにいって、そこのカフェで作業し、
フードコートで続けて作業し、でも結局ブログを書くことしか実際しておらず。
でも途中で吉本隆明講演を聞き出したり、吉本隆明の宮沢賢治講演集を読み出したり、
こうやって振り返ってみるとかなりナゾな展開をきょうはしていたが、よく考えると大抵いつもこうして俺の日常はナゾな行動で満ちてるな。
やばいんじゃないだろうか。
なんだかおかしい気がするが、でもいまこうしておかしい気がしてよかった気がする。つまり気づこうとしなければいつまでも おかしい気にすらならないからだ。
イオンを出てからどっかの駐車場に車を停めて、車の中で一曲書いてみた。

「青と赤」とか、そんなかんじの題名になりそうな曲だ。


青い私 と赤い私が
「どっち」をかけて闘うよ
どっちゆくの それを決める
権利は勝者の側にある

歪んだ想いをまとめて  
くるめるほどの力もない
無理やり 放り投げてそれが
ファイティングポーズのつもりさ

無理やり 無理やり 無理やり
赤と青がいっしょになる


昔々は 仲良しの
赤鬼 青鬼 ケンカした
学校でたら なんになるかって
二人は意見がまっぷたつ

帰れる場所が あったなら
赤子のように抱かれたい な
けれども ゆかなきゃいけないの
地獄の果てを目指して

右と左 上と下
ちぎれながら前に進むよ


青い私と 赤い私の
どっちが勝つかわからない
だけど二人は私そのもの
一人になれぬ半端者
ふたつに割れた私の 細胞



しかし、メロディやら展開やらがいまいち平凡なので、人前ではやらなそうな気配が濃厚だ。
かわいそうだけどしょうがない。
いやまったくかわいそうじゃない。



・抽象的なことを考えすぎるのも、どうかという。
思想というか、思索というか、そういうことがすぎるのは、なにかの代替行為にほかならぬと思う。
つまり現実的な具体的な行動を避けるために思索行為が選ばれるという、目的論だ。
とかいって自己分析していてもしょうがない。
とりあえずは、上記のように自分がした具体的行動を書き記すのはけっこういいことな気がした。
人に言えない恥ずかしいことをたくさんしてる、ということが自分でよくわかるからだ。

こういうことをいう。なんだか抑制の因子が働いている。
「推敲」ということが、目の前に出てくる。その復讐が。
つまりは、こうやってここ最近「推敲」を一切しない文章を書き散らして公表までしていると、
けっきょく誰ともつながれない感触しか得られず、
孤独感冴え、
読者を無視とかまじないっしょ、
みたいな気分になってもくるのだ。

というか、きっと読者なんてほとんどいないが、
でも「ほとんどいない」というのはいったいどういうことだろう
一人二人はいるだろう、ならば「ほとんど」というのは
なにを「基準」としてそれと比較して言っていることになるのだろう。
みたいなことも気になる風に書いてみたけど、そういうのも全部文章の水増しにすぎないのではないか。
僕のやっていることは端的にカスなのでないか。
カス、であってカオス、とはちがうけどでも似てるのか。
なんていうのは果たしてユーモアたりえているのか。
僕のやっていることはいったいどこに「効いて」いるのか。
文章を書く。わたしが生きる。
なにかを表現する。まして人前で歌をうたう。
自分のやっていることにその都度「価値」があると思えなかったら、なにがやる気満でできるじゃろう。
そりゃきっついこともあるんとちゃうやろか。
きっと、せつないこともあるで。しかし。
なんだかんだいっても楽しいことが一番で、特に難しいはなしも高尚な理念も関係なく、楽しさ、の前には服従するんです。
というか服従したかったかもしれない。
自然に服従する循環システムをビルトインすることに失敗したといえる。
なんだか獲得にぼけやったん。
楽しいこと、に一番をあげれなくて、身の回りの人と、楽しいことに一緒にのっかることに、最初から排他的になってしまったのです。
向こうからわたしが疎外されたのではなくて、わたしのほうから近づかないのです。
そういうのだから因果応報でしょうもないことたくさんありますが、
そろそろばってん生きていくかつ楽しいことまじ嬉しいそして喜び限りなく
みたいな領域に足を踏み入れたいのですが、通行証はどこですか。
ジョバンニあたりが知っていると思ったが、ジョバンニはどこですか?

カムパネルラーー



・でも今日思索したことはなんか重要だったんじゃないか、といえるけど、血肉になっていないしだめだろう。
親鸞の往相と還相、
メメント・モリみたいに「死」を意識して行動できてたら後悔なく生きれそうだよね
そういうふうに単純化して受け取ろうにも、その単純すらイメージできない僕は馬鹿すぎる。
もちろん、馬鹿すぎる、と自分で自分にいうということが最大の知性の見せ場だと知っててそういってるにすぎない。
だからはっきりいって自分のことを馬鹿だとは思っていないのであり、そういう意味でハッタリ以上に嘘つきに落ちぶれている。
落ちぶれているのは正解である。
その正解、を当てたやたー な位置から、ものを考え行動する主体をスタートさせてみよう。
新生活、いっちょはじめてみっか!
カスがカオスになる瞬間こそ創造、それは妄想の具現化であり無敵のリビドーの拡散なのだ。
まあ言いたい放題である。
ぜんぜん俺のブログという場所はまったく自由な俺のルール下にある。
ざまあみさらせってんだぃ。
おとといきやがれぇこのぼんくらぁ。
テクノクラートってなんですか?
そこらへんきになる。


・もはや眠い。眠りの時間が迫っているようだ。
けっきょく、おれは、なにをしたい人間なのか。
おれはどこに向いていて、じゃあ世界はどこに向いていて、
けっきょく俺と世界が出会う、というのはどういう瞬間なのか。
わかる奴答えろコノヤロー
ばっかでぇい
であえぃであえぃ
ハラキリじゃあ

だから、世界と出会える、とか喜びがイデオン的に拡散する波をどうやったらつかまえることができるのか。



・・・
・・・


ねましょう

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