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2014/05/15 か

・13:24

天気が雨、午後のちょっとまえからやんで。
生コンをながす。足のいたいSさん連日やってくれる。
風呂にはいりたい、湿気、じめっけ。
マスクをかぶっている自分の顔、半分かくれてる。

人に感謝することの、必要性。
気づいたら周りに誰もいなくなってた、
ということになるかもしれない。
損得勘定がまったく消えることはありえないのだろうけど、
そもそも損得勘定をあんまり厭う必要もない、かもしれない。

AMとのやりとり。自分に突く。突く。
納得いかないことも、ある。
それを主張するにはあまりにも「哲学的」かもしれない。
とか思う。
理解を求めることがいいのかわるいのか、
でも説得する気がないというのは、伝える気がないということだ。
それもあんまり。


こうやって、主軸が「自分」から「他者」へ移ることをしたい、
したいのに、ぜんぜんそうならない。
試みること。
実験すること。
そうして痛い目にあうこと。


・むかし橋本治の本で読んだ気がするけど、
「自分のことを考えるのが他人のことを考えることになる」
人と
「他人のことを考えることが自分のことを考えることになる」
人とがいるらしい。
近代と前近代のちがい、みたいな話だった気がする。
いやなんか記憶があやしいかもしれないが。

 

・このMacにどうだろう、人格はあるんだろうか。
キーを押されるたび、なにか思っているだろうか。

 

・おーいお茶が目の前にある。
未開封だ。
伊藤園、というところでつくっているらしい。
「おいしさの集大成」と書いてある。

これがいま僕の目の前にくるあいだに、
なにがあるだろうか。
お茶自体がつくられ、
その後ペットボトルにつめられる。
包装され、
ダンボールにはいり、
トラックにはこばれ、
運転手が小売店へもっていく。
「どうも」「どうも」
とやりとりされ、
この一本にかかる人の人数は
いかほどだろうか。
工場で5人
運転手1人
小売店3人
とかだろうか。

震災のときには、そういうことが自然と想像された。
いま、意識的にそう考えてみると、その人たちや、
このお茶がここにあること自体に自然と感謝の意が浮かんでくるような気がする。

なにしろ、お茶は水でできている。
たぶん。お茶っ葉とかでもできている。
それらは、自然のつくりだしたものだ。
それらを人工的に組み合わせて、おーいお茶ができている。
が、大元は人の手によらない自然物なのだ。
ということで、地球や太陽がつくっている、といえる。
つくっている、というか、できちゃうのだろう、自然と。
もちつもたれつ、有機的に網の目に、相互にもたれあって
自然の物象は存在できている。
というわけでこの僕もそうだ。
そのはずだ。
おーいお茶は、自然と人口が組み合わさってできているが、
人間だってそうなんだ。
人間と人間も、もたれあって存在できている。
その「もたれあい」を、意識できているか、できてないか。
それが、「感謝の意」かもしれぬ。

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