2014/05/19 その2

・うごく。やる。うたう。なんじゃい。

・ケーズにいってヘルシンキラマダンクラブを観た。
ボーカルギターの薫くんの曲がいいしバンドも上手い。
いいなー。

観てて「バンドっていいな」、と思う。
そういうこと思わせるバンドは良いバンドだ。

それで思ったけど「弾き語りいいな」、と思わせる人ってあんまりいない。
いない、とか言うといささか否定的だが、
やはりバンドより「ただやるだけで楽しい」
という状態になりにくいのが弾き語りだと思う。

バンドの倍、工夫をいれなければ楽しくならないよな。

楽しい、ということはそれだけで人を巻き込む力がある。
「楽しい」ってなんだろうなあー

 

・とりあえずいまは稲毛のファーストキッチンにいてもうすぐ終電だ。
終電時間を意識してないとのりすごす。
それは回避せねばならない。


・23:26
バンド用の曲を書こうとしてて、
どういうかんじかね、とあれこれと。
バンドだから激しい曲を、と思っても、
そう単純かね、とも思う。
なんだか「バンド」と意識して書くことにまだ慣れない。
フウテンの頃も書いていたけど、
「沼田謙二朗」として書くとまたちがう。
いや変に意識する、というより、
出し切り方をまだ探っているんだろうと思う。


・それにしても朝読んだ加藤典洋、
本の名前を言うと「さようなら、ゴジラたち」
だ。たしか。
なんだかゴジラ一作目の物語の流れが妙に記憶にとどまる。
実際の映画を観ていないのに、その批評から物語を知ると
逆に興味が湧くということか。
芹沢博士。彼の生き様、人間性、
眼帯の向こうの哀しさ、
って観ていないのにすごく想像してしまう。
心にひっかかる。

戦後、という枠組み。
いま自分が生きている日本の地点。
その歴史、近現代史は実際、
人が生きられた確かな現実なのだが、
それを考えるときは思考の想像に依ってしまう、
というのはなんでもそうだけどでも
ないがしろにはしたくないことがたくさんある。


・エモーショナル。
加藤さんは文学青年だ。
だから、読んでいると、感傷的になる。
その読む感触が心地よくて、だから読みたくなるのだと思う。

 

・「死者」、という表現によく出会う。
震災の後には、僕もノートにたくさん
「死者」を書いた。
それを考えることは抜きにできない、と思った。
なんだかそれについて言うこと、語ることは、
ひかえるべきこと、のようにも思う。
書くこと自体が軽率かもしれない。

「死者」について考えること、
震災の後での時間による、表現の変化と経過、
自分自身の感じ方の変化。
いろんなことがある。
でもいくら考えても、
それはあくまで「考えた」だけにすぎない。


終電が近い。

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