2014/06/27

・企画終わって、ボラボラ。
へんっ、へんっ、と心が言っている。
とりあえず、意味が不明瞭だったり、
よくわからなかったり、
変だったり、アホだったりする気持ち、
その表現の回路を取り戻しておきたいので、
うこここここ。

・あれだね、企画っていうのに向けて、
どんどんシリアスになってって、余裕なんてなく、
というので、いろいろアレでした。

・「集中」したものが過ぎて、
「解放」や「散漫」や「怠惰」がやってくる。
そういうサイクルが。

そこで、いまここで、手にしたいものは、
たとえばGWに観たマームとジプシーの朗読劇だったり、
ああいう感覚。
そういえば、あれからいろいろググって、
飴屋法水さんとか、現代演劇とか、
なにかと興味をもてそうだった。

・「興味」や「視野」を広げます、
という体勢で。
それはかなり「軽い」「チャラい」体勢だが、
おいしい体勢でもある。

・そういえばそういえば、ここ最近、なんか映画が観たいと思ってた。
思って観ないで過ごしてた。
ところで、なんの映画を観ればいいのかわからない。
映画というものはなんだろうか。
人工の極致みたいなものだが、
観ながら感情移入して。
だけど、そういう「感情移入する自分」
というものの中へ行きたいのかもしれない。
だとしたら、そういうものの中へ行きたがってる自分を
否定することはやぶさかだろう。
やぶさか、という言葉の意味はよく知らないが。

・そういった具合に、GTD、「やりたかったこと」頻出、
どうしよう、という事態にもなる。
で、具体的にどうしよう。
旅がしたい。
むしろ中田英寿に影響されての旅だ。
いろんな記憶が、入れ違いに想起されてもくるのだ。
オシム、イビチャ、年配の男性の顔は、思想者を呼び起こす。
レヴィナス、吉本隆明、マルクス。

・「お前は遊んでるだけだ」と言われた、という事態を想定して、
でもぜんぜんそんな事態に遭遇しないのに、
一生懸命回答を考案しようとするのはどれくらい馬鹿げてるのか。
でも、そうやって一人で考えようとする姿勢自体を否定することはできない。
人間性、および人類がたどってきた歴史を顧みればわかるはずだ。

かなり、チャラい。
決定的に、チャラいことが、どうしようもないという実感を呼び起こすはずなのに、
それもない。
とすると、どうか。あきらめるべきか。

 

 

・もっと真面目に、なんなくちゃいけない。
だけど、真面目だけにも、飽きてしまう、
いや、変化がほしくなる。

いま、なすべきことはなんだろう。
なんですか??

ほんとうは、すべての期待とは裏腹に、
もうすっかり雲のシールドが、夜空を、
覆い尽くすことを完成させようとしてるのかもしれない。
でももしそうだとしても、
そういう事態に気づけないし、
また、気づけないことが幸福の条件かもしれなかった。
だとしたら「現実に踊る」ということは、
青年の理想を忘却した場所のみがなりうる舞台だ。

ゲームかもしれない。
したらば、プレーヤーだ。俺は。
ゲームにはルールがある。
ルールに落ちれば失格だろう。
要領よくやってれば、確かに成功するかもしれない。
しかし、ルールというものがルールとしてあることに、
その理由がなんだということに、
どうやって回答せんとする生き物に生まれて死ぬの??
人間は、人間だから人間だ。
すべての人間の歴史が教えるものがある。
同時に、誰も教えられない未来がある。
いまという時間は、常にそのはざまで要求を出す権利をもつ。
その「いま」に立ち、息をしているのは僕や君やみんなだ。


・恐れてはならない。
だからプラクティスを惜しむな。
プラクティスのリスクを払え。
積極的に払うこと。
ある局面においては鈍感になること。

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