2014/12/24

・「不幸」というのは、なんだろうね。
じゃあいったいなにが幸せなのか。
世間並みに、周囲が言ってくる「幸せ」というのが、単なる<定規>になってしまうとき
「幸い」はこぼれて、孤独にあえいでしまう。

えーと、
書く、というのは、言いたいことがあって、でもそれは言えない、したがって言わない、
という道すじで表現されるものですから、
純粋にやるとまっすぐに<わからない>あるいは<わかりにくい>ものになるものなのです。

 えーとえーとえーと

えーてーえーてー
e-te-e-te-

 

 

・静かになにもかんじずに流されるままになにもおもわずになにもかんがえずに
たちつくしていると
たちつくしているじかんがながいと
老いは早いのだろうか

ぼくの知ってる
知識として知ってる
シベリア帰りの人は
すこしたしかに急ぎ足で生き死んだ

ふと気になる

 

・ 「詩」というのはいつ書かれるのだろうか?
いかなる心的状態、情況におかれると人って詩とか書きたくなるのかななな
けばだった流通にいまぼくはのらない
論理の予定された運命に加担しない
師よ、あなたはぼくに微笑まないでほしい

iheh

 

・「自分」と「社会」、自己意識が<自分としての自分>と<社会としての自分>の区別をなくしたところに、詩が生起する契機はあるのだ。詩は散文より古い。しかるに、<社会>より<自分>のほうが、そして、ニーチェが言ったように、<わたし>より<きみ>のほうが古いのだ。<自分>と<社会>との区別をなくしたところに一般文法の「くずれ」があり、それは<社会>側からみたら「退行」だが、<自分>側においては本源的なものへの回帰である。言葉というのはまやかしだ。人間は、まやかしを生み、発展させ、まやかしの城を築き、やがてまやかしの中で「だけ」生き死にするようになる。その末路が、喜劇になるのか、悲劇になるのか、いまだしらない。

 

IMG 0031

 

ーー

・ネットno,なかにある、そこにある自意識の束は、夜空の星といっしょになれるでしょうか??

「表現」のあるところに、競い合いがあり、
行く末のわからない社会の現在がある。
あーー
時代の空気にけおされたり
まるでわけのわからないモモヒキのやつに
心をうばわれちまわないように
しっかり、きをつけないといけないね

今夜はさむい
太陽のほうじゃ
一万年前なんて
きのうのようだ
知的生命体いじょうに
うちゅうが
せかいが
よくわかる
存在がいる
人間は人間のなかで
愚かしくも利口にもなっても
およそささいなこと
以前に
太陽にはなにも
つたわっていないだろう
空の星は平等に
わたしたちを無視している 

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