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2015/01/19

16:13
・「モノを考える」ことと、「オンガクをする」ことの繰り返しと噛み合わなさ。
本を読む。
ギターを弾く。
 
文章を書くときは、自分がゼロ地点に行っていないとつまらないので、
そうなるようにしたいけれど、
それには「リセット作業」を経なければならない。

けれども、リセットする手続きをとらない。
ということは、「何か書きたい」という状態ではないということだ。

自分の状態に正直になってみること。
それは、リセットの一端でもある。
ということは、いまここで、まさにリセットしようという状況にあるということだ。

そして、重要な事は、
リセットを経なければ動き出せない腰やカラダがある、ということだ。 
この「腰やカラダ」は、居着いて落ち着いてしまうと、
暖房の前に座った子供のように、なかなかすべきことをはじめない。

 

・言葉のゴミ箱に実際にゴミを投げ込んでナンボ。
「僕は、ゴミだ。」
そういうところからはじまって、はじめて、
「僕は、ゴミじゃない。」
が、わかるようになってくる。
そういう物事の順序を信ずること、
それが、なにかをひねり生み出そうとする者の基本的な態度だ。 

 

・というわけで、このブログになにか書くということが、
一種のゴミの指標になっている。
それはいたしかたない。
「ゴミを視る」ということが、
「ゴミじゃないものを視る」ということの、
逆説的な訓練になるのは間違いない。

したがって、
こういう「ゴミ文章」を読むことは
あなたの眼を養うことにつながるのです。
だから、これを読むことはいいことです。

 

 

・・・

・具体的な方向へ、少しずつ舵を進角させていければ
という願いは、わりかし以前から思っていることがらのひとつだ。

たとえば、いま読んでいる本の題名を書き記す。

しかし、それを書くことへの抵抗も存在する。
なぜかは知らない。

 

・さっき買った本はエリック・ホッファーの『波止場日記』だ。
それを左隣に置いて、MacBookでこれを書いているのだ。
ちなみに場所は、ユニモのフードコートだ。

((ぬ
「なぜかは知らない」が、
ここでも現れたのを感じた。
つまるは「私が公になる際の不快感」
人前に出ることの億劫さ、プラス、情報化への抵抗、みたいな))

 

「エリック・ホッファー」なんて書いたら、
「エリック・ホッファー」で検索した人がこのブログの覗く可能性があるということか?
そういうことまで想定しないといけないのかっ。
いや、そういうのがいやなら、最初から書かなければいいのだが。

 

・ということで、で、
エリック・ホッファーのような文体で書こうとしたら、
いつのまにか破綻しかけてしまいそうだ。
いずれにしても、もっと本当は真面目なことを考えなければいけないと思う。
それには、なにかしら「真面目なこと」を書いて、それについて考えて、また書いて、
という道すじをたどらないといけないが、
今日はまだその準備で終わってしまった。 

しかし、準備しはじめたのはいいことだ。
自分を肯定して、しかるのちに、なにかをする。
なにをするかが、具体的にしていくべきことがらだ。

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