せんそうのえいがの

・アマゾンプライムのビデオで「ブラックホークダウン」を観た。
ソマリア。アメリカ。戦争。銃。機関銃。ピストル。怪我。衛生兵。ロープ。落下。ヘリ。RPG。コーヒー。
概念、を操作してもしなくても、戦闘になれば戦うしかないんだ。死なないために敵を殺す。仲間を助ける。
ぜんぶの行動に命、人の生命が減じられ賭けられ、奪い奪われ。
 
背景や説明ぬきで、戦闘のみを描いたような映画で、だからスポーツの勝敗を追うような感覚もあった。アメリカ兵たちに、感情移入した。
ただ、アメリカン・スナイパーもそうだったけれど、敵側の描写を丁寧にすることはなく、常に、敵は悪者として映る。
だから、ソマリアの問題、としてよりも、アメリカの問題、として映る、という感じがある。アメリカのドラマ、としてつくられていて、それ以外のものではなく、そういう、内向きな感じは、どうなのだろう、ナイーブすぎるんじゃないか、ともおもう。
これを、ソマリアの人たちが観たらどう感じるのだろう、というところが、わからない。そういう点を考慮しているかどうか、考慮していないだろう、と見える。
「考慮する必要はない」という価値観、考え方が、無葛藤な前提としてただはじめからそこにあったものとして、考え抜いて獲得した根拠ではないものとしてある場合、マイナスの方向へ、悲劇の方向へ矢印は向いているとおもえる。
であるとして、では、いつ、無葛藤なものは葛藤を覚え、対面している状況に見合った思考をするようになるのだろう。そのキーがあるとして、そのキーはどこにあり、どうひねれば鍵は回るだろう。
逆に、対面しているはずの状況に耐えられないで、つまり向き合うことに耐えられないで、葛藤と思考を後退させることは、いつどのように生じるだろうか。
 
個人の精神の大きさや強度が、国全体の精神の大きさや強度に相当していく、というイメージが妥当だとすれば、後退を呼び寄せる人間は精神的に未成熟な人間である、ということもできる。
けれど、おそらくその考えもまた、その考え自体に後退をはらんでいるものなのだ。
「どちらがより正しいか」を、言うことにこだわっていては、超えられない地点がある。しかし、超えただけではなにも解決しない。であっても、「超える」ものの存在がなかったとしたら、状況において人間に救いも見えない。
  
 
・「ナショナリズム」って、内向きなものだろうか。外に開かない。風が通らない。

コメント

非公開コメント

LINK