スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016/08/02 まことちゃん

6

 

・デイ・キャッチの神保さんの話 https://radiocloud.jp/archive/dc/?content_id=10252

・「相模原の刺殺事件で、米フォーブス誌に『なぜもっと怒らないのか』との寄稿文」「ニュースクリップ:アメリカ」北丸雄二 https://radiocloud.jp/archive/dc/?content_id=10295

・荻上チキが語る「再犯者を生まないために必要な支援とは~あるシンポジウムの出席者の話」 https://radiocloud.jp/archive/ss954/?content_id=10300

・ニコ生 東浩紀 津田大介 夏野剛 ひろゆき 猪瀬直樹 https://www.youtube.com/watch?v=uD2L8N9AR7k

 7

8

 

・猪瀬さんの話を聞いていると、「父性っていうのはこういうもんかー」とおもい、斬新に新鮮なおもい。
 思うんですが、どうもいいことを(私は)言いそうで、というか、口を開くということは、体裁が出てきて、

なんかまとまらん、こないだから、いやこないだというか、もうずうっと、ずっと、まとめたいし、きちんとしたいけれど、
してもそれは小さくしょぼくなるだけで、もう、なんならこのままで、という諦めで、あとあと後悔するというような。。

自分は自分にしかなれないだろう。

 

・ 頭が混乱する。かなり整理ついてないけれど、整理しても結果的にまたすぐちらかるしな。いやちらけてるのか。
わからないけども、望むべき結果というものも、なんだかよくわからないけども、個人的に主観で「おもしろい」と思えるものなら、つくれそうな気分にはなんとかなれそうだ。ということはいえる。

主観では、なんとか。そしてそれは主観であって、それでもって外の世界、社会的にどうかとか、社会を変えるとか、には向かっていかないだろうか。向かっていかない。というより、叶っていかないだろう。

自分がなにやってるか俺にもわからない部分がある。

9

・まことちゃんの話をしなくてはいけない。まことちゃんは、小学校のころ、「あすなろ学級」という特別学級にいた男の子だ。
彼が、ダウン症なのか自閉症なのかも、いまでも、なんの知識もないのだが、そしていまはどこでどうして暮らしてるかも、全く知らないのだが、
あの頃まことちゃんは、給食の時間になると僕たちの教室に来ていっしょにご飯を食べた。
小学校では、班、という単位に分かれて、ご飯をグループで食べていた。
まことちゃんもどこかの班に混ざって給食を食べていたとおもう。

だから、まことちゃんのことはよく知らない。 

いま、記憶でなんとなくつなげて書いているだけだから、半分捏造かもしれないしきっとそうだろうが、
まことちゃんの世話を積極的にしていた女の子がいて、その子は結局高校まで僕といっしょの学校だったけれど、
なんとなく、その子は、周りから、、、疎まれていたような気がする。

それを書いて、なにが言いたかったか。

まことちゃんのことでよく覚えていることは、彼が鼻くそを食べてしまうので、
いつもみんなはまことちゃんに対して基本不干渉なのだけれど、そのときは笑った。
ただ別にそれはもちろん朗らかなもの、というより、彼自身と笑いを共有できないので、
嘲っているような格好に、必然的にならざるをえなかった。

いま思い返すと、なぜ、ああいった学級があり、彼がいったいどういう障害であり、などといった知識や説明を、全く受けた記憶がない。
もっとも、記憶がないだけで、誰かが説明していたのかもしれない。先生が。
そのころ、僕は、なにも考えていなかった。なにも、なにひとつ、意識していなかった。 

まことちゃんは、「まこと」という名前だった。
でもそれも、違っているかもしれない。 
でもやはりそうだった、という気がする。
まつげが長くて、背は低めで、いつも、笑った表情をしていた。 

 

当時、まことちゃんに対して、どうしたらいいかとか、なんというか、どう接したらいいかわからなかった。
彼は異質で、普通のコミュニケーションで接しても、どうにもならないので、
要するに、どうもせず、ただなんとなく、あまり関わらないでいただけだった。
関わっても、関わらなくても、まことちゃんは笑っていた。

そしてそれで、なにか問題が生じたこともなかった。
中学校になるとまことちゃんはいなくて、その後、彼のことは、知らない。

 

  

・今回の、相模原の事件が起きて、知的障害者との関わりというのは、自分の体験ではどうだったか、ということを思い返して、
思い当たったのがまことちゃんのことだった。
今回のことがなければ、思い出すこともなかったかもしれない。
 

具体的に近くにいる、というだけで、それは最低限「共に生きている」ということになるだろうが、
具体的に隔離された場所にいるのなら、この社会において「共に生きている」と、自信をもって、言えるか。
僕は無知だが、無知なりに、無知の地点から考えてもみる。勝手に考える。勝手に、ああ、とか、うう、とか、感想してみる。
そういうふうにしてこういう事件を「受け」る。こうして書くことで、せめて受け身を着地できればそれでいい。 

「それでいい」なんていうのは安易な言葉だ。
どこにも着地しないでいい。



・ 同窓会に、彼は呼ばれないのだろうか。誰も、彼へ連絡する手段はないのか。
そんな書き方は、とても意地悪だとおもう。そうしたほうがいいと思うなら、自分がそうしたらいいからだ。
 
とにかく、いま考えてること、感じてることは、、、、
犠牲者が匿名で、そのことのなかにある、溝のかんじは、もちろん大いに問題をかんじる。 
ただそれは、テクニカルな問題の面もあれば、 逆に<僕たち>の問題もあって、、、
その、<僕たち>の問題を、まず<僕>として、いやちがう、
それはまず<僕>の問題として、ひとりひとりの問題として、立ち現れるもの、とおもいたかった。

10 

コメント

非公開コメント

LINK

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。