真っ黒いジェット機の発進へ。

・結局、口を開くことから始めないと、いいたいことも、わかりませんね。
わかるでしょう?


・言いたいことはこうだ。


((
「力」
というものに対するセンシティブ。

それが足りないじゃないか。
損ねてるじゃないか。
))



・なんだか、俺はなぜだか、防御しながら攻撃したいらしい。



さきほど書いて削除した文章は以下だ。



========

・「夜回り先生」のごとく、そういう人の人間性にとって、自意識というのはどうなっているのだろう。
彼は自分が他者に啓蒙してること、そのものを、自分自身に疑念をもって問うということをしないであろうか?

・あるいは、カラマーゾフ的人間にとって、自己の醜悪さというのは、自身の問題になりえないのであろうか?

========


・<上目遣いの赤ん坊>が、それらの<力の使い手>に、はっきりと抵抗の意思をしめす、と書いた。
<力>に対する感受性、純粋性がうかがえないのがダメなんだ、と言いたがった。


・しかし、なんかちがう。
まず、「夜回り先生」を批判したいわけではない。
なのに固有名詞を出しているのは、どうなのか。
「夜回り先生」と発語する必要はないのだ。
だから、後説明をするよりも、ほんとうは削除してしかるべきなのだ。

しかしでもこうやって記述し残すことは、僕の中のいかなる要請によってなのだろう??







・シンプルにいえば、

全ての人間が、
生きている限り、
なにかしらの<力>を使用せずにはいられない。

全ての人間が。

だから、とりたてて特定の誰かを批判する必要もない。

はずである。


だけどこの縛られる感覚はなんだろう??




・誰かが、なにかの倫理観に基づいて、彼の行動をする。
すると、それに影響を受けるということは、彼の倫理観が自分に侵入してくるということだ。

彼は僕に強制してくる。

その行動を通して。

それが、困る。
ということもありうる。

しかしそれは、難癖つけえないものでしかないではないか?


そんなことよりも、
「お前はお前の力を誰にどうやって執行したんだ」
と、自己に問う方が、いくらでもマシである気がする。

なぜなら、人は自分がやられたことはよく覚えているが、自分がやったことに関してはすぐに忘れるから、というよりも、俺自身がまずそうであるからである。




・ライヴをやる。音楽をする。だから、それが、何がどうしたのだろう。
それに対して、誰か、解答を与えようというつもりがあるか。
上手くなる。練習する。どうやら、もっとウケたいらしい。




「売れたい」という言葉ほど、<力>というものがあり、それが人間の世界にとって血迫した問題であるという事実を覆い隠しほっかむる言葉もなかった。




「何がしたいか」ではない。
「何がしたいか」と、考え始めた地点では遅すぎる。

もう、君の中の<赤ん坊>は泣き止んでしまったのか。

君が、殺したんじゃないのか。

世話をサボるから。

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